新湘南電鐵 横濱工廠archive

shinshonan.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:北陸の廃線跡探訪( 1 )


2009年 10月 11日

殺人隧道 魔の○〇○トンネルを行く

c0207199_22311481.jpg
いきなり怪しい表題で、かつ怪しい画像で申し訳ございませんが、西○京太郎ミステリーではありません。
 さて、この画像ですが、家族旅行で岐阜・関が原方面に出かけた帰りに寄ったため、あたりが暗くなってしまい、何が何だか分からなくなってしまいました。

 まず、地面は道路です。赤い光は交通信号ですが、いくら待っても青になりません。上部には「高さ制限3.5m」の標識板、「トンネル内一方通行」の電光掲示、その向こうになにやらコンクリートの構造物、よく見ると何となく穴が開いているような・・・

 画像とここまでで分かった方は、地元の方か、行ったことのある方でしょう。

 では、これは何か?答えは「北陸本線(旧線)柳ヶ瀬隧道雁ヶ谷方坑口」です。
もちろん、現在は鉄道用として使われているトンネルではありません。北陸本線旧線の線路跡で、現在は廃線となり、道路用トンネルに転用されています。「魔の柳ヶ瀬トンネル」と言えば、ご年配の方で北陸本線旧線に乗ったことのある方や廃線跡探訪のお好きな方はお分かりでしょうか。

 『柳ヶ瀬トンネルは明治17年に完成した北陸本線の単線トンネルで、滋賀県伊香郡余呉町と福井県敦賀市の間にあり、全長1352mは完成当時の日本最長トンネル。トンネル内は急勾配で、かつ断面が狭小なため煙が充満し、昭和3年には貨物列車の乗務員3名が煙に巻かれて窒息死するという痛ましい事故も起きている。このため「魔の柳ヶ瀬トンネル」と呼ばれ、北陸本線木ノ本~敦賀間の難所であった。昭和32年に余呉トンネル~深坂トンネル経由の新線に切り替えられ、その後は柳ヶ瀬線として残ったが、後に廃線となった。』
以上は故・宮脇俊三さんの「鉄道廃線跡を歩くⅦ」から要約引用しました。

 木ノ本の街から国道365線(越前市方面)に入り、途中、中之郷、柳ヶ瀬の集落(いずれも北陸線の駅があった所)を過ぎ、北陸自動車道と併走して約10km走ると右方向に敦賀方面の標識があり、曲がるとすぐに上記画像の場所に出ます。ちなみに直進すると福井県の今庄まで木の芽峠越えで40kmくらい。
 着いたときは信号が変わった直後で。5~6分待ちました。やがて、トンネルから10台ほどの車が飛び出してきて(予想より多かったです。かなり通行量があるのですね)、その1分後くらいに信号が青に変わりました。 左にカーブしてトンネルに入ると、中は直線になっています。断面はまさしく鉄道用単線トンネル断面ですが、最近の電化路線のトンネルより一回り小さく、昔の蒸気列車用と分かります。壁面は古い煉瓦積みですが、天井部分などはコンクリート(?)で補強がしてあります。天井には照明がついており、真っ暗ではありません。資料では雁ヶ谷(米原)側から刀根(敦賀)側に向かって25/1000(25パーミル)の下り勾配のはずですが、車ではあまり感じません。25パーミルは昔の蒸気機関車が登れる最急勾配だったそうですが、蒸気機関車がいかに非力であったかが分かり、昔の乗務員の方の労苦が偲ばれます。
 1.3kmほど進むと出口付近で左に曲がり、刀根方坑口に飛び出します。ここでは既に7~8台の車が信号待ちしていました。このあと、疋田の手前の曽々木で国道8号に合流し、敦賀に下ります。

 私が北陸に来て早十数年になりますが、一度訪れてみたいと思いながら、今日まで来れずにいたのです。この先、このためだけに来れそうもないので、遅い時間でしたがちょっと無理を言ってここへ寄りました。夜でしたが、まあどうせトンネルですから、昼でも夜でも同じです。中之郷駅跡と柳ヶ瀬駅跡をじっくり見られなかったのはちょっとだけ残念ですが・・・
 あとは山中峠越え(敦賀~今庄間)を是非いつか訪ねてみたいですね。北陸自動車道上り線の杉津(すいづ)PAに寄ると、売店の裏の道が旧北陸線の杉津駅跡で、北陸線の線路跡の道路が山中峠方向に延びています。杉津PAを出るとしばらくは北陸線跡と併走し、車から旧トンネルも見えます。その情景を見ながら、いつかは北陸線跡を走ってみたいと思いつつ、現在まで行けずにいます。
[PR]

by nari-masa | 2009-10-11 23:46 | 北陸の廃線跡探訪 | Comments(0)